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1、このサイトは書き直し中で、文章崩れています

追々直すので少し待ってください。

土建3

 

R子が学校の懇談会などに出たのは初めてだった。昌生に、来るなよ、ババア、とか言われるし。

顔を出すと、やはり苦情が出た。

「困るんですよ、昌生くんは」
「あっそう」

相手は、小柄で品の良さそうな母親、少なくともR子よりは。

R子は一向に、困らなかった。

昌生は、彼女が一発ドツけば大人しくなる。

男親が家にいないから、あんなになってしまったのね、などと、言わせるつもりはない。


以前、昌生が万引き容疑で、学校へ呼び出されたとき、

一緒に呼び出されていた新住人の1人(仁志の母親)に、「フン、出稼ぎ人夫の子供は可愛そうね」と言われたことがあった。

そういうことは、よくあった。

仁志と息子の話を総合すると、昌生と仁志は、以前、悪友としてつるんでいて、その日も2人でブラブラしていた。

2人で暇つぶしに万引きでもするか、とか言い合っていたら、仁志が本当に万引きに失敗して(ヤキソバパンとか、すごくつまらないものだった)、学校に通報され

仁志は、日頃から生活態度の悪い昌生のせいにした。

というのが、息子の言だった。

R子は、頭の悪い昌生が、手の込んだ嘘をつくとは思えなかったが、面倒くさいので、保留にしておいた。

まあ、そういうこともあるよ。世の中は分からないもんだ。

ハッキリした証拠がないので、2人は一週間、学校の裏庭の掃除をさせられ、その件はどちらも不問になった。

当時、地方のヤンキーは荒れていた。

彼らが農民から工夫になり、収入が上がったように、新住人のホワイトカラー、または役人連中には、人夫から上がった人たちも混じっていた。

 

 

 

 

 

N元たちは、仙台エコパスタジアムで惣菜を配っていた。

ヨソ者が現地に食い込む為の、良いおじさん作戦だ。

避難民の眼は、血走っていた。

当初、被災地には食糧が不足し、

避難所の人の食事は、一日パン1つだった。

N元たちは、事務所の戸棚に入っていた、大量の名刺も、食糧と一緒に配った。

それはだいたい捨てられていたが、大事そうにしまう人もいた。

スタジアムには、混んでいるところと、混んでいないところがあった。

混んでいるところは、寒くなく、人通りもまばらだ。

空いているところは、その逆、トイレの近くや入口付近、頻繁に人が通って、隙間風が通り、眠っていれば、他人の足音やたまに蹴りで起こされる。

空いているところなんか、ほとんどなかったけれど。

うろつきまわる彼らを見て、人々は、何だこの邪魔なオッサンは、という目で見るが、パンを差し出すと目の輝きが変わった。

食糧は近隣の地方を回って自分たちで調達したが、足りなくなって、コンビニの配送車などを、ほとんど強奪したのもあった。

運搬していたオッサンには、2倍の代金を払って黙らせたが、大丈夫なんだろうか。他人の事情は構っていられない。